松原智恵子(まつばら ちえこ)さんは、60年以上に渡り活躍し続けるベテラン俳優です。
日活全盛期には、「日活三人娘」のひとりとして大ブレイクしました。
プライベートでは、松原智恵子さんが27歳のときに4つ年上のジャーナリスト・黒木純一郎(くろき じゅんいちろう)さんと結婚。
その後、39歳のときに息子さんを出産しました。
しかし、息子さんは一般人のため、詳しい情報は公にされていません。
インターネット上では「息子さんは医者になった」と噂されていますが、本当でしょうか?
今回は松原智恵子さんに関する次のトピックについて徹底調査しました。
ぜひ、最後までお楽しみください。
松原智恵子さんの息子は本当に医者なのか?

松原智恵子さんの息子さんの職業が「医師」であるという噂は事実です。
松原智恵子さん自身がメディアでのインタビューや著書などで、息子さんが医師として働いていることを明かしています。
しかし、具体的な勤務先や専門分野については、息子さんのプライバシーを守るため公表されていません。
インターネット上では、松原智恵子さんの息子さんが「東京大学病院の内科医局に勤務している」という噂も見つかりましたが、事実確認はできませんでした。
東大病院に勤務しているという噂だけでも、ずば抜けた優秀さがうかがえますね!
松原智恵子夫婦の出会いと結婚
松原智恵子、今も美しいけど若い頃可愛すぎてびびった。#隕石家族 pic.twitter.com/yRjbWP4VyD
— ほりしん✪ (@holicxholicx) May 19, 2020
夫の黒木純一郎さんとの出会いについて、松原智恵子さんは次のように語っています。
「純一郎さんと初めて会ったのは取材現場。『週刊現代』の『この人に会いたい』というインタビュー企画でした。
私のことをすごく綿密に下調べしてから取材に来ているのだな、と思いました。私が22歳、純一郎さんが26歳。4歳しか年齢はかわりませんが、彼はとても落ち着いた雰囲気で、いろいろなことをよく知っていました。私の周りにはいないタイプの男性だったのです」
引用元:女性自身
この取材のあとも一緒に仕事をする機会があり、グループで遊びにいくうちにふたりの距離は縮まっていきました。
格差恋愛で猛反対の末に結婚

交際を始めた当時、松原智恵子さんはブロマイド売上数女優部門一位のトップ女優。
一方の黒木純一郎さんは、早稲田大学を中退し、編集プロダクション「早稲田編集企画室」(現在の早稲田企画)を起業して間もない週刊誌記者でした。
そんなふたりの格差恋愛は、周囲からの反対にあいました。
俳優仲間が松原智恵子さんを心配して、黒木純一郎さんに「身の程を知って、身を引きなさい」と電話をかけてきたそう。
特に松原智恵子さんの母親は、黒木純一郎さんとの交際を猛反対したそうです。
松原智恵子さんは、名古屋で裕福な実業家の三女として生まれました。
16歳で芸能界デビューして上京した松原智恵子さんは、はじめは親戚の家で下宿していました。
その翌年には多忙になり、父親が撮影所から近い調布に一軒家を建ててくれたそうです。
調布の家では最初はお手伝いさんと二人暮らしでしたが、父親が亡くなると母親も一緒に暮らし始めました。
そんな手塩にかけて育てた娘の交際相手が「収入が不安定な週刊誌記者」となると、彼女の将来が不安になったのでしょう。
松原智恵子さんの母親は、次のようなアクションを起こします。
「純一郎さんとお付き合いするようになってから、母がお見合い話もたくさん持ってくるようになりましたが写真も見ませんでした。
正直、収入のこととか何も考えていなかったですね。結婚は、お金がどうとか、地位がどうとかではなく、“誰とするか”ではないでしょうか。純一郎さんも何度も私の実家に足を運んで、家族の説得にあたってくれました」(松原さん)
引用元:女性自身
家族や友人たちからの反対を乗り越え、ふたりはついにゴールインしました。
お嬢さま育ちなので、子どもの頃からお手伝いさんがいる生活だったのかもしれませんね。
松原智恵子さんの新婚旅行
ふたりの新婚旅行については、次のように明かされています。
松原さんと黒木さんが新婚旅行に旅立ったのは、挙式から4日後の9月27日。イギリスからスタートし、ヨーロッパを巡り、スペインからアフリカ大陸に上陸した後はサハラ砂漠を走破し、またヨーロッパに戻り、トルコへ……。17カ国、2万キロ近くを100日かけて車で走り回ったのだ。
ハネムーンというより冒険旅行そのものだった。
「私はハワイや韓国ぐらいにしか行ったことがなく、もっと世界を見てみたいと思っていました。純一郎さんがシルクロードに関する本を書くことになっていましたので、その取材旅行に途中まで同行させてもらったのです。」
引用元:女性自身
新婚旅行では、運転が好きな松原智恵子さんもハンドルを握ったそうです。
その後もふたりは海外旅行を楽しみました。
ふたりとも海辺でのんびりするのが好きで、コロナ前にはタイのパタヤ・ビーチによく訪れたそうです。
黒木純一郎さんとの死別後、松原智恵子さんはこのように語っています。
『彼を知らなかったら、私の人生もっと違ったものとなったでしょう。女優としても、また女としても……』
(中略)
いったい2人でどのくらいの国を訪れたのでしょうか。数えてみたら47カ国にもなっていました。出会う前は、世の中のことをあまり知らなかった私ですが、あなたといっしょになったおかげで、いろいろな経験ができたのです。
純一郎さん、私に素敵な世界をたくさん見せてくれて、本当にありがとうーー》
引用元:女性自身
結婚から夫との死別まで、約50年――。
松原智恵子さんの言葉からは、彼女が夫と過ごした日々をどれほど愛おしく感じていたのかが伝わってきます。
松原智恵子がたった一度だけ夫に叱られた理由

松原智恵子さんと黒木純一郎さんは、50年近い結婚生活の中で、ほとんどケンカをしたことが無いそうです。
しかしただ一度だけ、黒木純一郎さんが松原智恵子さんを叱ったことがありました。
松原智恵子さんは35歳から「子供が欲しい」と思いはじめ、38歳で念願の妊娠。
ようやく命を授かった大事な時期に、松原智恵子さんは風邪をひいてしまいました。
それでも、自分の体の丈夫さを信じて仕事に向かおうとした彼女を、夫の黒木純一郎さんが叱ったそうです。
“「私は39歳で出産しました。当時というか、いまでも高齢出産なほうですよね。
私は昔からかなり丈夫なもので、病気で仕事を休んだことはなかったのですが、妊娠中に風邪をひいてしまったことがあったのです。熱があり、けっこう咳も出ていましたが、妊娠しているので風邪薬は飲めません。それでもいつもどおり撮影現場に行こうとしたら純一郎さんが、『そんなに無理をしてまで、仕事をする必要はないよ!』って。いつもは仕事に口を出さない彼が、私の体を心配して怒ってくれたのです。
私も素直に、事務所に連絡をして、その日は撮影をお休みさせてもらいました。私が仕事を休んだのは、その1回だけ。純一郎さんに叱られたのも、それが最初で最後のことでしたね」
引用元:woman excite
50年もの長い結婚生活の中で、たった一度だけ夫に怒られた原因が、「妊娠中に無理をしようとした妻が心配だったから」。
黒木純一郎さんが、心の底から松原智恵子さんを深く愛していたことが伝わってきます。
黒木純一郎さんはいつも周囲を気遣い、仕事終わりにはよく取材仲間を食事に誘っていたそうです。
しかし、松原智恵子さんが家でひとりになる日だけは「今日は妻がひとりになるので」と、急いで帰宅していました。
結婚や妊娠・出産を乗り越えた後も、恋人のような関係を保ち続ける夫婦はあまり多くありませんが…
気遣い上手な黒木純一郎さんと、甘え上手な松原智恵子さんは例外だったようです。
22歳で出会ったときから、お互いが運命の赤い糸で惹かれあった人生のベストパートナーだったのかもしれませんね。
その理由は、こうしたエピソードの数々からお互いへの愛情が伝わってくるからでしょう。
松原智恵子の子育てと仕事の両立

松原智恵子さんは俳優として活躍しながら、母親として息子さんの行事には欠かさず参加していました。
俳優という特殊な仕事を続けながらのスケジュール調整について、このように語っています。
“女優の仕事は生涯続けようと思っていましたが、子どもにとっては、幼稚園の運動会も、母親参観日も初めてづくし。そんな一瞬一瞬を大切にしたくて、小学生ぐらいまではすべての行事に参加できるよう、スケジュールを調整してもらいました。自分も子どもを見守りたかったし、子どもに対しても「あなたのことをいつも見ているよ」という安心感を与えたかったのです。
引用元:Wendy-Net
その確かな愛情は、息子さんにも伝わっていたのでしょう。
息子さんは医師という多忙な職業に就きながら、夫を失くした松原智恵子さんを献身的に支え続けています。
息子は高校からイギリスに留学していた

息子さんは、高校1年生の時に「イギリスに留学したい」と松原智恵子さんに告げたそうです。
松原智恵子さんも16歳の時に家を出て俳優を目指したので、息子さんの決断を反対しなかったといいます。
留学予定ははじめ一年間だけの予定でしたが、息子さんは「もっと英語を勉強したい」といい、そのまま大学卒業までイギリスで過ごしました。
噂によると、息子さんはロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校に進学したそうです。
ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校の教育レベルは非常に高く、世界の大学ランキング102位にランクインしています。
また、イギリスでは高校在学期間に一般教養を終え、大学では専門分野に特化した授業をおこなうため、学部は三年制で修了となります。
日本に四年制の大学が多いのは、大学に入学してから一般教養を学ぶためです。
そのため、日本の高校を卒業してイギリスの大学に入るには、まず一般教養を学ぶ必要があります。
教育環境の違いを考えると、息子さんが高校1年生で留学を決意したのは、非常に良いタイミングでした。
松原智恵子さんはあるインタビューで、留学前後で感じた息子さんの変化について、このように明かしています。
“でもね、海外に行ってから、帰国するたびにだんだん息子がやさしくなっていったのです。中学生のころなんて、一緒にお買い物に行っても私とはわざと離れて歩いて、欲しいものが決まると呼ばれていたのに(笑)。あちらでの生活で少しずつ意識が変わったのか、今は私のことをとても大事にしてくれます。
引用元:Wendy-Net
このイギリス留学で学んだ数々の経験が、息子さんが自分自身の将来を決定する土台となったのでしょう。
噂によると、息子さんはロンドン大学ロイヤル・ホロウェイを卒業後、日本に戻り慶応義塾大学医学部に進学したそうです。
松原智恵子さんが息子さんの決断を尊重して見守ったのもスゴイ!
最愛の夫を亡くした松原智恵子を支える息子

2022年2月16日、長年連れ添った最愛の夫・黒木純一郎さんが急逝。
黒木純一郎さんは外出先で倒れ、病院に救急搬送された後、松原智恵子さんとは会話もできないまま亡くなりました。
松原智恵子さんは人気トーク番組「徹子の部屋」に出演した際、このように語っています。
“黒木さんは今年2月16日に脳炎のため急死した。夫について、松原は「川口の方に行ってまして、そこを歩いている時に倒れて、救急車を呼んで。息子の携帯に電話をして、病院に来てもらったんです」と説明した。
(中略)
何の兆候もなく、突然だったという。「3日前くらいに、焼き肉屋さんに行ってお肉を食べたり、普通に生活していたんですけど、突然倒れて、眠ったままで」。いつか目を覚ますと信じていたが、「病院から電話があって、“呼吸が苦しいから危ないかも知れません”と呼ばれましたら、着いた時にまだ息をしていたんですけど、本当に眠るようにというか、寝たまんまというか、そのまま息を引き取って、もう目覚めてくれませんでした」と明かした。9月の金婚式まであと7カ月で、永遠の別れになってしまったという。
引用元:スポニチ
松原智恵子さんは黒木純一郎さんと話し合って10年以上前から「日本尊厳死協会」に入会していました。
そして、「延命治療はしない」という決断をしていたそうです。
しかし、黒木純一郎さんを亡くした後、松原智恵子さんは「実感がわかない」と語っていました。
松原智恵子さんは寂しがりで、「昔から家にひとりでいることがすごく苦手だった」と明かしています。
黒木純一郎さんが出張の時には、彼女が家にひとりにならないよう気を配っていたそうです。
“「どんな話をしていて、そんな会話になったのでしょうか。実は最近も、純一郎さんはこんなことを言ってくれたのです。
『あなたを一人で残していくのは本当に心配だ。だからきちんと看取って、あなたを送ってから僕もいくよ』と……」
引用元:woman excite
そして最愛の夫に先立たれたあと、松原智恵子さんと同居中の息子さんが気遣う様子も語られています。
“人が聞けばバカバカしいような他愛のない日常が頭に浮かぶたび、夫はもういないのだと思い知らされて。今は同居している息子が気遣ってくれますし、彼がいないときは誰かしら家を訪ねてくれます。だけどこれからは、「一人でも大丈夫」の自分にならなくてはと思っているところです。
引用元:婦人公論.jp
息子さんは、松原智恵子さんが孤独な時間を過ごさないで済むよう、献身的にサポートをしているそうです。
最愛の夫を亡くした松原智恵子さんにとっても、息子さんがそばにいてくれる日々はきっと心強いでしょうね。
安らかに息を引き取ったことが、夫を亡くした実感がわかない理由なのかもしれませんね。
まとめ
🌸毎日キレイ🌸
松原智恵子:2年前に夫が急逝、現在も仏壇で毎日会話
ハマっているものは? 「徹子の部屋」で明かす 別カットも公開📸#松原智恵子 #徹子の部屋 https://t.co/Xlqc9VaIdH— 毎日キレイ (@mainichi_kirein) June 6, 2024
最後にこの記事をまとめました。
- 松原智恵子さんの息子さんは噂通り「医師」として活躍中だった
- 黒木純一郎さんとの交際は母親から猛反対されていた
- 50年の結婚生活で一度だけ怒られた理由は「妊娠中に無理をしようとしたから」
- 新婚旅行は100日かけて、ヨーロッパから北アフリカまでの17か国を車で走った
- 松原智恵子さんは39歳で高齢出産し、学校行事に積極的に参加した
- 息子さんは高校1年から大学卒業までイギリスに留学した
- 黒木純一郎さんは救急搬送先で、息子さんに延命治療しない意思を伝えた
- 夫婦は10年以上前から「日本尊厳死協会」に加入していた
- 松原智恵子さんは息子さんと同居中
医師という多忙な職業に就きながら、最愛の夫を失った母親を献身的に支え続ける、松原智恵子さんの息子さん…。
そのやさしい姿からは、家族への深い愛情と、確かな絆を感じることができました。
俳優として第一線で輝き続ける松原智恵子さんの、今後の健康とご活躍を心からお祈りしています。