2023年年度前期放送のNHK連続テレビ小説「らんまん」。
主人公は植物学者の槙野万太郎(まきの まんたろう)さんです。
その妻の槙野寿恵子(まきの すえこ)さんはドラマ終盤で不治の病に倒れます。
しかし、槙野寿恵子さんの亡くなった時の明確な描写がありません。
もし不治の病が死因だとしたら、一体どんな病気だったんでしょうか?
槙野寿恵子さんのモデルとなったのは、牧野壽衛子(まきの すえこ)さんです。
牧野壽衛子さんの史実をもとに死因や病気、亡くなった年齢の違いにも迫ります!
槙野寿恵子の死因や病気は?
2月23日は #槙野寿恵子 さんのモデルとなった #牧野壽衛 (#牧野壽衛子) さんの命日。1928年 (昭和3年) 55歳でした。死因は子宮癌と推察されています。史実では #牧野日本植物図鑑 が刊行されたのは壽衛の他界から12年後のことでした。#牧野富太郎 #槙野万太郎 #朝ドラらんまん #浜辺美波 #神木隆之介 https://t.co/rXCpcNl7FB pic.twitter.com/36jXLL02mf
— TrumpetのKuni (@kuniaki_shimbo) February 23, 2024
槙野寿恵子さんの死因は子宮癌だったと思われます。
というのも、モデルである牧野壽衛子さんの死因が子宮癌だと言われているからです。
牧野壽衛子さんが病院に行く数年前から出血や下腹部の痛みがあったんだとか。
一方で卵巣癌だったと書かれているものも。
池波正太郎(いけなみ しょうたろう)さんの「武士(おとこ)の紋章」です。
彼は槙野万太郎のモデル、牧野富太郎(まきの とみたろう)さんと親交がありました。
「武士の紋章」はあくまでも小説なので、フィクションの可能性も考えられます。
いずれにしても女性特有の病気で亡くなったようです。
生前、牧野壽衛子さんは体調を崩して倒れました。
しかし、病院に行くことをかなりためらったそうです。
それは一体なぜだったのでしょうか?
病院に行くことをためらった理由
牧野壽衛子さんが病院に行くのをためらったのは、治療費がかかるからのようです。
牧野富太郎さんが研究を続けるには、たくさんの資金が必要でした。
そのため、二人は借金地獄の生活を続け、夜逃げ同然で長屋を転々としていたそうです。
長年の苦労の末、植物研究のために広大な土地を手に入れ1926年に終の棲家を建てました。
その頃から牧野壽衛子さんの体調に変化が現れ始めます。
まさに老後のライフワークに励んでいるころのことです。
家族は心配しますが、牧野壽衛子さんは病院に行くことをためらいました。
治療費がかさむことで、夫の研究の負担になってしまうのでは…
夫の研究を心から応援していた牧野壽衛子さんはそんな心配をしたのではないでしょうか。
そのためか自身の病気の治療に積極的ではなかったと言われています。
牧野壽衛子さんが再び倒れたため病院に連れて行ったそうです。
そこで医者から不治の病であることを告げられました。
不治の病と告げられて…
牧野壽衛子さんが病床にいる間も、牧野富太郎さんは「牧野日本植物図鑑」作成のため全国を飛び回っていたそう。
本来ならば妻の近くにいるべきでは?と思う人もいるでしょう。
しかし、夫の夢の実現のために牧野壽衛子さん自身が快く送り出したそうです!
その調査中、牧野富太郎さんは仙台で見つけた新種の笹に「スエコザサ」という名前を付けました。
ドラマでも最終週のタイトルが「スエコザサ」になっています。
このエピソードから夫婦愛を象徴するにふさわしいタイトルだと思いますよね♪
牧野富太郎さんは牧野壽衛子さんの死後、病巣を大学病院に寄贈しました。
同じ病気に苦しむ人たちの研究に役立ててほしいとの思いからだそうです。
槙野寿恵子が亡くなった年齢が史実と違うのはなぜ?
牧野富太郎のドラマで彼の妻スエコを演じるのは浜辺美波ちゃん。いいね。富太郎は研究費に私財を使い果たし実家を破産させ、俸給の千倍もの借金を抱えた壮絶な貧乏暮らしだったそうで、スエコさんは夫と借金取りが鉢合わせしないよう、借金取りが居る時は窓の外に赤い旗を目印に出していたそうだ。 pic.twitter.com/UR1ZPxg4Qx
— Green Pepper (@r2d2c3poacco) April 30, 2022
ドラマの中で槙野寿恵子さんは62歳でなくなります。
しかし、モデルとなった牧野壽衛子さんが亡くなった年齢は55歳でした。
史実では牧野壽衛子さんの死後12年目でようやく「牧野日本植物図鑑」が完成。
しかし、ドラマでは槙野寿恵子さんが亡くなる直前で図鑑が完成しています。
その理由を演出担当の渡邊芳雄チーフがこのように述べていました。
万太郎のことを一生懸命に支えてきた寿恵子が図鑑の完成を見ずに亡くなる…。そんな切ない話はありません。長女の園子ちゃんが亡くなった時、万太郎は図鑑を天国の園子ちゃんに届けるという話をしました。それに加えて寿恵子にも届けなくてはいけないというのでは、いくらなんでもかわいそうすぎます。そうしないことが、万太郎を支え続けた寿恵子というヒロインに対する僕らの愛情、礼儀だと思うのです。
引用元:【らんまん】最終回ネタバレと感想|史実と違う結末に視聴者涙!感謝の声も続々!
史実と異なる演出で、より感動的なシーンになったと思います。
牧野壽衛子さんは生前、終の棲家で植物園を作ることが夢だったそう。
その夢だった植物園は牧野壽衛子さんの死後に完成したと言われています。
現在は「練馬区立牧野記念庭園記念館」として残っているそうですよ♪
ドラマでの槙野寿恵子の生涯を紹介
『らんまん』第13週も
ありがとうございましたーー!!?
無事に祝言もあげることができました!
初金屏風だったので記念写真たくさん撮らせていただきました?タキさんの最期のシーンをみて朝からぽろぽろ。らんまんじゃあーー! pic.twitter.com/dgaIQacNuj
— 浜辺美波 (@MINAMI373HAMABE) June 30, 2023
ドラマでの槙野寿恵子さんの生涯はどんなもだったんでしょうか?
槙野寿恵子さんの旧姓は西村で、1865年(慶応元年)に生まれました。
父親は彦根藩士の陸軍軍人、母親は人気芸者で妾です。
東京の下町で母親と和菓子屋を営んでいました。
1881年(明治14年)、内国勧業博覧会の会場で、槙野万太郎さんが一目ぼれ。
その後、東京で運命の再会を果たし、二人は結婚しました。
母親としても5人の子宝に恵まれています。
ちなみにモデルの牧野壽衛子さんは生涯13人も子供を産んだそうですよ!
結婚後は穏やかな日々が続くと思いきや、朝ドラならでは波乱万丈な結婚生活となります。
お金に無頓着な槙野万太郎さんにに代わって家計を担当。
しかし、家計は常に火の車でした。
そのため自分の私物を質に入れたり、借金取りを言いくるめて返済期日を伸ばし、さらに追加で融資させたりしてなんとか家計を回していたそう!
モデルの牧野壽衛子さんも産後3日目に借金取りに会いに行ったという話もあります。
そんなギリギリの生活も遂に行き詰まります。
槙野寿恵子さんは一大決心をし、待合茶屋「山桃」を開業させました。
「山桃」はたちまち人気店となり極貧生活から脱出することができました!
そのおかげで槙野万太郎さんは植物研究にますます没頭していきます。
槙野寿恵子さんの生涯を見て感じたのは、彼女が夫を心から尊敬し応援していることです。
そうでなければ、こんな先の見えない極貧生活を乗り越えていけないでしょう。
そして、槙野万太郎さんの植物学者としての成功は槙野寿恵子さんなしでは語れません。
まとめ
槙野寿恵子さんについてまとめてみました。
- 槙野寿恵子さんの病気と死因は子宮癌か卵巣癌と考えられる
- 槙野寿恵子さんが亡くなった年齢は62歳
- 槙野寿恵子さんの深い愛情と尊敬の念が夫を成功に導いた
ドラマでは、そんな深い夫婦愛が垣間見えるシーンがいくつもありました。
二人で長年苦労を乗り越えてきたことや、お互いへの尊敬の念があったからではないでしょうか。
また、改めてドラマを見返してみたくなります!