数々のヒット曲を生み出し、ダイナミックな歌声で多くの人に親しまれた尾崎紀世彦さん。私も力強く正確で美しい歌声に魅了された一人です。
結婚・離婚を2度していたり、順風満帆とはいかなかったみたい…
晩年は病気に苦しみながらも、父として愛されながらの最後だったようです。
この記事では、尾崎さんの人生について書いてみました!
尾崎紀世彦の病気は?晩年の最後を見届けたのは?
尾崎紀世彦さんの晩年を調べてみると、とても大変だったみたいです。
どんな病気だったのか?
ツイッターで尾崎さんの病気について話題になっていました。
尾崎紀世彦さん亡くなっていたのか。たしかどこかのマスコミが失踪報道して、尾崎さんの身内の人が連絡は取れてるので大丈夫だからと説明したときは病気かなと感じたけど本当にそうだったとは。ご冥福をお祈りいたします。
— 弖翡 (@DewiCH9982) June 1, 2012
尾崎紀世彦&京フィルのコンサートが中止。病気療養のためだそうな。
・・・大丈夫だろうか?— iyetake (@iyetake) March 23, 2011
http://t.co/PPuJxz1i
尾崎紀世彦さんが亡くなったらしい…失踪したとか報道されて心配してたけど、やっぱり病気だったなんて…
やばいめちゃくちゃショックだわあの朗々としたかっこいい歌声大好きだったのに— ぱぴこ (@chronicle_AT) June 1, 2012
マスコミの報道では「失踪」と言われていたようですが、どうやら「入院」していたみたいです。
病名は「肝臓がん」のようで、晩年は体調を崩しがちだった様子。
病気さえなければ、新曲も出す予定だったとツイッターで噂されていました。
「羅針盤」♪と言えば尾崎紀世彦さんの病気が治ればレコーディングをする予定だった曲です。すでにレコーディングのために音源を録り終え、尾崎さんの体調を見て歌入れだけの状態になっていたそうです。ところが、その尾崎さんは他界されてしまい、CD化は実現できませんでした。#羅針盤
— たか (@taka25puzzle25) April 28, 2015
亡くなってしまったのはとても残念ですが、天国でも美声を披露していて欲しいです。
尾崎紀世彦さんのご冥福をお祈りします。
最後に看取ったのは誰?
波乱万丈に思える尾崎さんの人生ですが、その最後を見届けたのは…
一度目の結婚の元妻とともに看病をしていた尾崎紀世彦Jr.さんでした。
インタビューでは昔を懐かしみつつも「いなくなったとは思えない」と涙を流していたそう。
二度の結婚と離婚!?尾崎紀世彦の波乱の人生
生涯を通して二度の結婚と離婚をしている尾崎さん。
その詳細はどのようなものなのでしょうか?
一度目の結婚・離婚
1973年にアメリカ国籍の女性と結婚して長男と長女をもうけるも1991年に離婚。1971年に発売されたソロでは2枚目となる楽曲「また逢う日まで」、別れをテーマとして歌詞を書き換えられたこの曲はまさにその後の離婚を予言するものだったのかもしれません。
二度目の結婚・離婚
1991年に離婚が成立すると日本人女性と再婚し、2年後に3人目の子供となる長女を授かりますがその後夫婦仲が険悪となり、3年間の裁判の末離婚。離婚にあたっての条件は離婚相手に700万円の慰謝料を払うこと、長女が成人するまで10万円の養育費を払うことであったようです。
ただの喧嘩ではなさそう。
離婚後の関係性
別れた妻とのその後の関係はあったのでしょうか?
一度目の結婚相手は尾崎紀世彦Jr.さんとともに尾崎さんの看病をしており尾崎さんから「お前がいてくれてよかった」と言われており良好な関係であったことが分かります。
二度目の結婚相手は尾崎さんの看病に来ることはなく遺産の相続をもとめてきたそうです。別れたとはいえ看病をすることもなく遺産を求めるというのは虫が良すぎるような気もしますね。
歌手や父として、尾崎紀世彦の意外な素顔
多くの人を魅了し二度の離婚も乗り越えた尾崎さん、(きっと真の強い堂々とした人だったんじゃないの?)と思っていたのですが実は…
とある音楽関係者の話
尾崎さんに近しい音楽関係者の話によれば、人間的にはいい奴だが音楽は完璧主義であり精神的にもろい面があったとのこと。
別のプロダクト関係者は、その風貌とは裏腹に音楽を一音でも外したらみっともないと考える面があったらしく。
一時期はアルコールが手放せなくなり依存症も心配していたんだとか。
そんな中で離婚を乗り越えるのにどれだけ苦労したんでしょう?
父としての素顔

音楽へのこだわりが強い尾崎さんですが、二度の離婚をしていることを考えると子供たちにどのように接していたのか気になるところ。
予想とは裏腹に子供との関係性は良かったみたいです。
尾崎さんが病気になると、長男である尾崎紀世彦Jr.さんは仕事を辞め尾崎さんの看病に努めたそう。
尾崎さんが亡くなられた際のインタビューでは、ジョーク等をよく言ってくれ家でも歌を歌いすごく上手だったと昔を懐かしんでいた。
私ももう一度子供になるなら父親は面白い人がいいな
まとめ
- 尾崎さんの病気は肝臓がん
- 最期を看取ったのは息子の尾崎紀世彦Jr.さん
- 二度の離婚をしており、二回目の離婚は裁判にまで及んだ
- 歌手としては音楽へのこだわりが強く、神経質な人だった
- 子供たちからは父として慕われていた
尾崎さんの素晴らしい歌声は音楽に対する並々ならぬこだわりに支えられていました。
しかし、それ故の苦悩もあったようです。
二度の離婚はしていますが子供には父として慕われ、最後も長男によって見届けられました。