数々のヒット曲を生み出し、ダイナミックな歌声で多くの人に親しまれた尾崎紀世彦さん。私も力強く正確で美しい歌声に魅了された一人です。
結婚・離婚を2度していたり、順風満帆とはいかなかったみたい…
晩年は病気に苦しみながらも、父として愛されながらの最後だったようです。
この記事では、尾崎さんの人生について書いてみました!
尾崎紀世彦の晩年!なんの病気だった?
尾崎紀世彦さんの晩年は、闘病生活でした。
あまりにも姿を見せないことから、失踪報道がでたことも…。
実際は「失踪」ではなく、「入院」していたみたい。
肝臓がんのため、体調を崩しがちになっていたそうです。
Twitterでも病気について話題になっていました。
尾崎紀世彦&京フィルのコンサートが中止。病気療養のためだそうな。
・・・大丈夫だろうか?— iyetake (@iyetake) March 23, 2011
尾崎紀世彦さん亡くなっていたのか。たしかどこかのマスコミが失踪報道して、尾崎さんの身内の人が連絡は取れてるので大丈夫だからと説明したときは病気かなと感じたけど本当にそうだったとは。ご冥福をお祈りいたします。
— 弖翡(でび) (@DewiCH9982) June 1, 2012
病気さえなければ、新曲も出す予定があったそうです。
「羅針盤」♪と言えば尾崎紀世彦さんの病気が治ればレコーディングをする予定だった曲です。すでにレコーディングのために音源を録り終え、尾崎さんの体調を見て歌入れだけの状態になっていたそうです。ところが、その尾崎さんは他界されてしまい、CD化は実現できませんでした。#羅針盤
— たか (@taka25puzzle25) April 28, 2015
最後に看取ったのは誰?
大変な闘病生活の最後を見届けたのは、長男の尾崎紀世彦Jr.さんでした。
アメリカ人の元妻とともに、尾崎さんの闘病生活を支えていたそうです。
インタビューでは昔を懐かしみつつも「いなくなったとは思えない」と涙を流していました。
尾崎紀世彦には二度の結婚と離婚歴がある!?
生涯を通して二度の結婚と離婚をしている尾崎さん。
1973年にアメリカ国籍の女性と結婚して長男と長女をもうけるも1991年に離婚。
1991年に離婚が成立すると日本人女性と再婚し、2年後に3人目の子供となる長女を授かります。
しかしその後夫婦仲が険悪となり、3年間の裁判の末離婚。
離婚にあたっての条件は離婚相手に700万円の慰謝料を払うこと、長女が成人するまで10万円の養育費を払うことであったようです。
離婚後の尾崎紀世彦jr.との関係
尾崎さんの晩年は、一度目の結婚相手が闘病のお世話をしていたようです。
尾崎紀世彦Jr.さんもともに尾崎さんの看病をしていたとのこと。
尾崎さんから「お前がいてくれてよかった」と言われており、元妻さんとも息子とも良好な関係であったことが分かります。
しかし、二度目の結婚相手との仲は険悪だったようです…。
看病に来ることはなく、最終的には遺産の相続をもとめてきたんだとか。
看病をすることもなかったのに、遺産を求めるというのは虫が良すぎるような気もしますね。
尾崎紀世彦の性格が意外?
多くの人を魅了し二度の離婚も乗り越えた尾崎さん。
男らしい容姿とは裏腹に、性格は以外にも精神的にもろかったのだそうです。
音楽関係者は「人間的にはいい奴だが音楽は完璧主義であり精神的にもろい面があった」と語っています。
別の関係者は「音楽を一音でも外したらみっともないと考える面があった」とも発言していました。
そんな性格からか、一時期はアルコールが手放せなくなり依存症も心配されていたそうです。
そんな中で離婚を乗り越えるのにどれだけ苦労したんでしょう?
父としての素顔
音楽へのこだわりが強かった尾崎さん。
子供たちに対しても頑固な面があったのかと思えば…子供に対してはステキな父親だったそう。
長男の尾崎紀世彦Jr.さんは、晩年の尾崎さんの看病のために仕事を辞めたんだとか。
そのことからも、子供からとても慕われていたことがわかりますよね。
尾崎さんが亡くなられた際のインタビューでは、ジョーク等をよく言ってくれ家でも歌を歌いすごく上手だったと語っていました。
まとめ
- 尾崎さんの病気は肝臓がん
- 最期を看取ったのは息子の尾崎紀世彦Jr.さん
- 二度の離婚をしており、二回目の離婚は裁判にまで及んだ
- 歌手としては音楽へのこだわりが強く、神経質な人だった
- 子供たちからは父として慕われていた
尾崎さんの素晴らしい歌声は音楽に対する並々ならぬこだわりに支えられていました。
しかし、それ故の苦悩もあったようです。
二度の離婚はしていますが子供には父として慕われ、最後も長男によって見届けられました。