「ビックボス」の愛称で親しまれている新庄剛志さん。
現在は日本ハムファイターズで監督を務めながら、テレビ番組にも出演するなど多方面で活躍されています。
人気者の新庄剛志さんには「実は双子だった」「実家は金持ち」「整形前の方がイケメン」などいろんな噂が飛び交っていますが、本当なのでしょうか?
今回はそんな新庄剛志さんの噂を徹底調査していきます!
新庄剛志が双子って本当?
新庄剛志さんが実は双子だったという噂が流れていますが、新庄剛志さんに双子の兄弟はいません。
新庄剛志さんは父・母・姉・新庄剛志さんの4人家族です。
父:新庄英敏さん
1941年生まれ、2011年にがんのため亡くなられました。
新庄剛志さんのお父さんは造園業を営み、植木職人としてお仕事されていたとのこと。
植木職人をする傍ら、合気道を教えるなど多彩な方だったようです。
新庄剛志さんはお父さんのことを「お酒が大好きで、毎日のように居酒屋に通っていた」と話しています。
母:新庄文子さん
1943年生まれ、79歳(2022年現在)。
新庄剛志さんのお母さんは長崎の対馬出身で、運動神経が抜群だったそうです。
普段は穏やかでお人好しな性格ですが、一旦怒ると気性が荒い面もあるんだそう。
夫婦喧嘩に包丁を出してきたこともあるという武勇伝がパワフルさを物語っていますね。
姉:新庄真由美さん
1970年生まれ、51歳(2022年現在)。
新庄剛志さんのお姉さんはとても優秀で、偏差値76の高校で上位の成績だったそうです
運動神経も抜群だったお姉さんですが、現在難病を患っており、闘病生活を送っています。
新庄剛志さんが語った内容から、筋萎縮性側索硬化症(ALS)ではないかとの噂。
新庄剛志さんが帰国後に現役復帰を目指した根底には、お姉さんの存在もあったことが明らかになっています。
新庄剛志の実家は金持ち?
ビックボスの相性で知られる新庄剛志さん。
多くの人が「お金持ち」「派手」「セレブ」などのイメージをお持ちなのではないでしょうか。
そんな新庄剛志さんですが、実は超貧乏な幼少期を過ごしたそうです。
新庄剛志の実家は超貧乏だった!
新庄剛志さんはお父さんの破天荒さゆえに、幼少期から高校時代までかなり切り詰めた暮らしをしていたそうです。
新庄剛志さんは幼少期を振り返って様々な貧乏エピソードを話しています。
その中から、いくつかのエピソードをまとめてみました。
- 朝食は無く、学校の給食を思い切り食べていた。
- 夕食のおかずがゆで卵1つの日もあった。
- ラーメン1杯をお姉さんと二人で分け合っていた。
- 割れた家の窓やお父さんの軽トラの窓は、ビニール袋で代用していた。
- 野球のスパイクを買う余裕がなく、学校の上履きで練習していた。
- お風呂にシャワーは無く、五右衛門風呂のお湯は1週間変えずに使っていた。
- トイレは水洗式ではなく、「ぼっとん便所」だった
エピソードから新庄剛志さんが厳しい環境で育ってきたことが伝わってきますね。
そんな「超」がつくほど貧乏だった新庄剛志さん。
幼少期の夢は「いい車に乗って、いい服を着て、シャワー・水洗式のトイレのある家に住むことが夢」だったそうです。
父の教え、商売道具は大切に
幼少期の新庄剛志さんが、破天荒なお父さんゆえに苦労してきたお話をしてきましたが、新庄剛志さんがプロ野球選手になれたのは、お父さんのおかげだと言っても過言ではないでしょう。
そんな新庄剛志さんのお父さんの素敵なエピソードを紹介します。
新庄剛志さんが幼い頃、造園業を営むお父さんはどんなに疲れていても、仕事が終わると道具を手入れしていたそうです。
その姿から新庄さん自身も「商売道具を大切にする」ことを学んだと話しています。
プロ野球選手になった後、新庄さんは初めての給料で7,500円のZETTのグローブを購入。
そしてそのグローブを、現役を引退するまでの17年間使い続けてきました。
新庄剛志さんの野球に真剣に取り組んできた姿勢が表れていますね。
写真は引退セレモニーの時の新庄剛志さんです。
選手として最後の日を迎えるまで、一つのグローブと共に過ごしてきたんですね。
新庄選手と共にプロ人生を歩んできたグローブは、2011年にこの世を去ったお父さんの棺桶に収められたそうです。
今年に入ってこんな記事が出ていました。
お父さんの教えは今も新庄剛志さんの胸に刻まれているようです。
『新庄剛志ビックボス「道具を大事にするチームに」廃グローブ衣装で沖縄入り』
空港の到着ロビーに現れたBIGBOSSは、プロ野球の監督というよりも、まるでロックバンドのスターのようだった。東京を出発するときに着ていたシックなロングジャケット姿から大変身し、待ち受けていた報道陣約70人、一般客約50人の前に登場。「道具を大事にするチームにしたい」。不要となった約40個の野球グラブを縫い込んだ個性的なロングコート姿に、チーム作りへの思いを込めた。
引用:日刊スポーツ
新庄剛志の整形前後を年代別で比較!
新庄剛志さんといえば何度も整形手術を繰り返していることが話題になりましが、「整形前の方がかっこよかった」など整形に対して残念がるコメントが多く見られました。
新庄剛志はテレビで整形したと言ってたけど、整形しなかった顔が良かったな。でも、新庄ファン、きっと整形してもしてなくても愛してるんだろうな。芸人きつねの新庄モノマネすごく似てる?
— あーちゃん (@kingyonosakura) September 15, 2022
新庄剛志は整形前の方がカッコよかったな~
顔、変なんなっちゃったよ新庄剛志氏にRIZINオファー、大みそか大会(日刊スポーツ)#Yahooニュースhttps://t.co/DnwFX5dCvT
— ばぅ (@berU_cycle) November 13, 2020
そんな新庄剛志さんの整形前後を、年代別に比較していきます。
阪神タイガーズ時代(1990年~2000年)
入団して間もない新庄剛志さん。
どこかあどけない雰囲気が残っていますね。
引用:週刊ベースボール
こちらも阪神時代の新庄剛志さん。
当時は「(虎の)プリンス」と呼ばれていただけあって、とても爽やかでかっこいいですね!
この頃は整形こそしていませんが、入団1年目にして歯のホワイトニンングに2000万円も費やしたそう。
さすがビックボスと呼ばれるだけありますね。
メジャーリーグ時代(2001年~2003年)
メジャーで活躍していた時も、整形している様子は見受けられませんね。
それにしてもかっこいいですね…
日本ハムファイターズ時代
引用:ウィキペディア
トレードマークの赤いバンドがよく似合っていますね。
こちらの写真も整形しているようには見えません。
バリ島から帰国後
帰国後の新庄剛志さん。
整形したことが明らかにわかりますね。
新庄剛志さんのあまりの変貌ぶりに驚いた人は多かったのでないでしょうか。
マジで笑えた「しくじり先生・新庄剛志」 pic.twitter.com/6KXuuVorw0
— テク憧 (@techdou) February 20, 2017
監督就任後〜現在
こちらは監督就任後の新庄剛志さん。
また顔の雰囲気が変わった気がしますね…
引用:asageiplus
こちらは今年の6月にご自身のインスタに載せられた写真です。
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愛犬とのツーショット、とても嬉しそうですね♪
新庄剛志のプロフィール
新庄剛志さんは元プロ野球選手です。
2022年からは北海道日本ハムファイターズの監督として活躍されています。
引用:テレビ東京スポーツ
- 生年月日:1972年1月28日
- 出生地:長崎県対馬(福岡県育ち)
- 身長:181cm
- 体重:76kg
- 愛称:BIGBOSS(ビックボス)
新庄剛志さんは幼い頃から運動神経が抜群でサッカーがとても上手だったそう。
小学3年生の頃からソフトボールを始め、そこでも才能を開花させました。
当時の新庄剛志さんはとても負けず嫌いでこんなエピソードがありました。
長丘小3年時より始めたソフトボールでは、6年時5月の町内対抗大会でのサヨナラ負けが決定するプレーの判定をした審判員に泣きながらひとり食ってかかり、なだめる監督にも誤審を訴え続けた。こんなにも負けず嫌いな子供は見たことがないと驚き、その様子を見るに見かねた監督が、そんなに悔しいのなら自分が監督を引き受けるから少年野球チーム(軟式の学童野球)を創ってその悔しさを晴らそうと持ちかけると、新庄は2日間でメンバーを集め、ユニフォームのデザインやチーム名命名も担当して「長丘ファイターズ」というチームが誕生した。
引用:Wikipedia
大の負けず嫌いで、小学生ながら大人顔負けの行動力。
新庄剛志さんは才能も然り、その負けず嫌いの性格と行動する勇気がプロの道へと導いてくれたんですね。
新庄剛志の経歴
プロ野球選手時代の新庄剛志さんの経歴は以下の通りです。
1990年〜2000年 阪神タイガーズ
2001年 ニューヨーク・メッツ
2002年 サンフランシスコ・ジャイアンツ
2003年 ニューヨーク・メッツ
2004年〜2006年 北海道日本ハムファイターズ
まとめ
今回は波瀾万丈な人生を送ってきた新庄剛志さんついて調べてみました。
- 新庄剛志さんは双子ではなく、2歳上のお姉さんがいる。
- 新庄剛志さんの幼少期は実家が超貧乏だった。
- 新庄剛志さんは成形を繰り返したが、現在は一時期に比べたら落ち着いている。
2023年には移転した日本ハムファイターズの新しいスタジアムがついに完成するなど、ファンの期待も膨らみますね!
今後も監督になった新庄剛志さんから目が離せません!