自民党総選挙で初の女性総理大臣誕生なるか?
と注目を集めた野田聖子さん。
政治家として実力のある野田聖子さんですが、これまでの役職などの経歴も凄いんです!
今後の活躍が期待される、野田聖子さんの実家や家系図などルーツを探ってみました。
野田聖子さんの実家はどこ?
野田聖子さんのご実家は岐阜県にあります。
彼女の選挙区は岐阜県ですし、もともとは祖父の野田卯一さんの選挙区でもありました。
ですが、野田聖子さんは岐阜県で生まれ育ったわけではありません。
福岡北九州市で生まれた野田聖子さんは、まもなく父親の仕事の関係で東京に引っ越してきます。
引用元:野田聖子オフィシャルブログ
当時の住まいというのが、田園調布の豪邸だったそう!
裕福なご家庭だったことは容易に想像できますね。
野田聖子さんは幼稚園から独立されるまでこの田園調布で育ちました。
野田聖子さんの複雑な家系図とは?
まず最初にお伝えしたいのは、野田聖子さん20代前半の頃「島聖子」さんという名前だったこと。
なぜか名字が「野田」ではありませんでした。
結婚して「野田」になったわけではありません。
野田聖子さんの家系図がこちらです。

最初、跡取りのいない島家に養子入りしたのが、聖子さん父親にあたる島稔さんになります。
と思ったら、その後野田家も跡取りがおらず名家の野田性を残せない!という危機におちいります。
そこで島家3人兄弟のうち聖子さんが養女として野田家入りしました。
養女になったことで「野田」という苗字に変更したのですね。
野田家と島家
野田聖子さんがインタビューで
「政治の野田家」「投資の島家」
と言ってます。
祖父の野田卯一さんは建設相や経済企画庁長官を歴任され政界の重鎮だった方です。
ある対談で野田聖子さんは「祖父は選挙に弱かった」とさらりと言っていたのが印象的でしたが(笑)
最後は落選し政界を退いたそうですが、日本の政治において、実力があった人物であることは間違いないでしょう。
また、曾祖父にあたる島徳蔵さんがまたすごい人物です。
実業家であって、相場師でもあった島徳蔵さん。
一代で財を築いた大阪でも有数の資産家として知られていました。
島家が投資の家系と言われる理由は、島徳蔵さんが若くして株式仲買人だったからです。
大阪取引所などの理事を勤めていたことも。
野田聖子さんの父親は「島稔」さんといって八幡製鉄で勤めながら個人投資家として活動されていたそう。
投資の島家と呼ぶのも納得です。
野田聖子の歴任役職

引用元:時事ドットコム
野田聖子さんは持ち前の聡明さと並々ならぬ努力で、輝かしいキャリアを積んでこられています。
政治家としてのイメージが強いですが、上智大学卒業後は帝国ホテルに就職されています。
数年で、当時女性では珍しい営業職についていたそうです♪
その後、政界入りしてからの主な役職がこちら!
1982年 史上最年少の岐阜県議会委員
1993年 女性初の衆議院議員
1996年 郵政政務次官(橋本内閣)
1998年 当時最年少で郵政大臣就任(小渕内閣)
2008年 消費者行政推進担当大臣、宇宙開発担当大臣、内閣特命担当大臣(福田内閣・麻生内閣)
2017年 総務大臣、女性活躍担当大臣、内閣特命担当大臣(安部内閣)
2018年 衆議院女性初の予算委員長
2020年 幹事長代行(菅内閣)
2021年 内閣特命担当大臣、女性活躍担当大臣、子ども政策担当大臣、孤独・孤立対策担当大臣
最年少や女性初を総なめにしてきた、筋金入りのキャリアウーマンです。
野田聖子のプロフィール
野田聖子さんのプロフィールをご紹介します。
- 出身地:福岡県北九州市
- 誕生日:1960年9月3日
- 卒業大学:上智大学外国学部比較文化学科
- 職業:自由民主党所属衆議院議員
- 家族構成:夫(文信さん)、息子(真輝くん)
野田聖子さんは自然妊娠が難しいとされ、卵子提供を受け出産したお子さんが一人います。
華々しいキャリアを積みながらも、女性として大変な時期も経ています。
まだまだ社会的サポートの乏しい日本でたくましく邁進する野田聖子さんは、「女性社会進出のロールモデル」といえますね!
まとめ
今回は野田聖子さんのルーツを探ってみました。
- ご実家は選挙区でもある岐阜県
- 20代半ばで野田性を守るために養女入り
- 家系図には政界の重鎮や実業家/相場師などの大物ぞろい
- 若いときから、数々の重要な役職を歴任
日本女性のリーダー的存在の野田聖子さん、日本初の女性総理大臣誕生もそう遠くない未来かもしれません!